片付いたと思った仕事が再燃したり、社内のセクト主義に閉口したり、ちょっとした同僚の一言に傷ついてみたり、自分の卑屈さに嫌気がさしたり、しながら働いてる。感情の起伏が激しいのを感じる。それがどうも自分だけじゃないような?それとも今までは私だけ気付いていなかっただけなのか?仕事は感情とは別のところでやった方がいいだろうという理屈は分かるけど、感情をまったく別物として棚上げしておくという事は無理だし、無理なことをしようとすると負荷がかかるというのも事実。その場にいない人に対する不平不満をネタにして、築き上げる結束感なんて何ぼのもんか。屁のツッパリはいらんですよ。
帰りに予約していたライムスの新譜を取りにCDショップへ。HEAT ISLANDつい、目に付いたおおはた雄一の新譜ふたつの朝と、オザケンの新譜Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学も一緒に購入。こんな気分のときに、

おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめていた者たちと、「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから」と従いつづけていた者たちは、ある日、とつぜん町の中が騒がしくなったと思うと、次の日には、かならずパンツ一丁で逃げまどうことになるのでした。

という帯の文章は目に留まりすぎた。
カンボジアのホテル予約が完了。これで一安心。
ライムスのツアー、チケットもとりあえず予約。野音かー、初めてだな。
なんだか、みんないろいろと働いている・動いている!と感じるのは春だからか。そういえば、通勤路の梅も花開いていたことに今朝気づいた。